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zoom RSS 蓼科)歴史

<<   作成日時 : 2011/06/19 01:36   >>

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蓼科の歴史には色々な不思議があります。

八ヶ岳はどうやってできたのでしょうか。
古八ヶ岳期は130万年〜30万年とされ、南八ヶ岳で火山活動があり、その後休止します。約27万年前に新八ヶ岳期に入り、再び火山活動が活発化し、赤岳・横岳・阿弥陀岳など南八ヶ岳の火山活動が活発化します。13万年前〜12万年前には南八ヶ岳の編笠山と美濃戸中山が形成されます。3万年前に北八ヶ岳で縞枯山ができ、続いて硫黄岳ができます。2万年前には北横岳ができました。http://sakurahen.com/yatsugatake.htm
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車山、霧ヶ峰、鷲ヶ峰は火山だったのですが、その成り立ちはどうだったのでしょうか。信州の歴史研究に記事があります。http://www.justmystage.com/home/rarememory/souseiki/k.htm
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八島湿原はどうやってうまれたのでしょうか。同じく記事があります。
http://www.justmystage.com/home/rarememory/situgen/s.htm
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諏訪湖はどうやってできたのでしょう。諏訪盆地の原形は13万年ほど前に出来上がり、フォッサマグナと中央構造線が交わる複雑な地にあります。ここに水が溜まったのですが、成り立ちとしてはいくつかの説があるようです。
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八ヶ岳の東側には小海や海の口など海のつく地名があります。山の中なのになぜでしょう。小海町HPに次のようにあります。http://www.koumi-town.jp/office/archives/townprofile/koumi-yurai.html
888年に起きたとされる八ヶ岳天狗岳の水蒸気爆発による大崩落により川が堰きとめられ海の口から海尻にかけて大きな湖ができました。同時に相木川も堰きとめられ相木湖ができました。海の口・海尻の湖は1011年に決壊して無くなりました。相木湖は1300年ころまではあったようです。これらの湖のために海の地名が多いようです。

蓼科地方は縄文の時代から開けた文化地域だったとのこと、それも八ヶ岳火山・霧ケ峰火山によるプレゼントである黒曜石のおかげだったとのこと。黒曜石とは?黒曜石は何に使われたのか?どこまで交易範囲は広がったのか?
黒曜石  黒曜石とはどのような石でどこに行けば見ることができるのでしょうか。尖り石・冷山・和田峠・麦草峠・渋川遺跡・茅野駅ホームにもある 黒曜石原産地調査 黒曜石の交易 冷山・麦草峠黒曜石露頭 横谷観音大滝神社黒曜石 沼津市土手上遺跡に蓼科の黒曜石 
信州の歴史研究からの黒曜石についての記事です。
http://www.justmystage.com/home/rarememory/kokuyou/k.htm

縄文時代の造形の確かさが尖石縄文考古館にあります。
縄文のビーナスと仮面の女神 縄文のビーナス
釈迦堂遺跡博物館は中央道釈迦堂PAから入館出来ます。縄文の土器・土偶が豊富に展示されています。
http://www.eps4.comlink.ne.jp/~shakado/jyosetu/jhosetu.html
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史料
茅野市史 上巻 原始・古代 http://misuzu-mokuji.net/detail.php?id=214001  

蓼科にはいくつもの民話があります。なかなかスケールの大きいものもあります。
民話 富士山と八ヶ岳の背比べとでいらぼっち だいだらぼっちの腰かけた高ボッチ山 車山のおかんばば 鬼石と鬼場橋と茅野 赤沼池(女神湖)のかわたろう和田村の夜の間の池 白駒池の女神 続諏訪の物語30編 龍伝説諏訪には神無月は無い 龍になった甲賀三郎 天竜川上流伝承集 
八島湿原 杜若と山彦 http://www7.ocn.ne.jp/~hutte-k/contents17.html 旧御射山の話もあります。
信州の歴史研究より、民話編です。http://www.justmystage.com/home/rarememory/minwa/mi.htm
同じく車山の天狗伝説です。高島城建設の苦役にその元があるとしています。
http://rarememory.justhpbs.jp/tengu/ten.htm
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史料
茅野市史 下巻 近代・現代 第五章第四節 伝説 http://misuzu-mokuji.net/detail.php?id=214003

諏訪大社・御柱祭は諏訪・蓼科の昔昔から続く。始まりは何だったのでしょうか?全国1万余の諏訪神社の大本。
諏訪大社 諏訪大社・御柱祭のむかし 全国の諏訪神社 諏訪大社と諏訪神社 諏訪氏とは

蓼科には信玄の棒道という立て札が目につきます。棒道はどこをどのように通っているのでしょうか?また、温泉にも信玄の隠し湯を名乗るところがあります。どこが信玄の隠し湯だったのでしょうか?
信玄の棒道・隠し湯 信玄の棒道 信玄の上の棒道踏査記 信玄の中の棒道道筋 信玄の棒道 信玄の棒道上・中・下三本の棒道 信玄の隠し湯

坂本養川のせぎ(用水) 八ヶ岳西麓を潤すせぎ(堰)は坂本養川により整えられました。乙女滝もこの18本の堰のうちの大河原堰の一部です。
信州の歴史研究からの詳しい記事です。http://www.justmystage.com/home/rarememory/yousen/ys.htm
長野県のサイトです。 http://www.pref.nagano.jp/nousei/nochi/agriobje/09yousen/yousen.htm
茅野市の記事です。 http://www.city.chino.lg.jp/ctg/Files/1/01040570/attach/05081502.pdf
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大河原せぎ) 通常のせぎは水田を潤すために幾つにも分水してゆくのですが、大河原せぎは12kmの行路の間一度も分水しません。取水はビーナスライン笹丸平の上の、城の平の湯の川の支流からで、その後丸生戸川と交差、せぎの水は一旦丸生戸川に流入し、その後同量の水を取水して再びせぎに流します。そこからビーナスラインをくぐり、蓼科ビレッジ営業の横を通り、蓼科ビレッジ管理の少し上のメルヘン街道1号カーブの少し下の所からメルヘン街道をくぐり(ここではメルヘン街道をドライブしながらでも良く見えます)、別荘地を突き抜けて、横谷峡のパークホテル横を通り、乙女滝となり流れ落ちます。その先で樋(水路橋)によって渋川、次に角名川を横切ります。それから岳麓公園を通り、乙見坂で乙見滝となり柳川に流れ込みます。滝の湯川の豊富な水を不足している柳川へ送るせぎなのです。柳川ではその300m下流で再び取水し上堰(山田、穴山、菊沢、子の神、北久保・船久保・二久保)と下堰(中沢・田道・神立原・荒神)で水田を潤します。大河原取水から渋川(乙女滝)まで6.1km、そこから柳川に流入する乙見滝まで6.4kmです。長いせぎですから途中で水量が乏しくなり水争いのもとになったり、利益を得る村とただ途中通過の村とがあったりして難しいこともあったようです。また、せぎの補修も色々と大変だったようです。特に渋川を渡り断崖を巻いて流れる部分は漏水もあり、難所でもあり、平成13年~16年に改修工事を行い、今は水路トンネルで断崖を穿って水路が作られているとのこと。坂本養川1792年(寛政2年)開削のせぎです。養川せぎは自然の川との交差を橋で渡したり、一旦川に落として再度取水したりするために「繰越堰」と呼ばれます。
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滝の湯せぎ) 一方滝の湯せぎはホテル滝の湯近くで滝の湯川より取水し、ビーナスラインをくぐり、蓼科湖の横を通り、蓼科湖ー横谷峡遊歩道沿いに流れ、石遊の湯の脇をぬけ、メルヘン街道をくぐり、尖石考古館脇を通り、竜神池脇を通り、上場沢に向かいます。糸萱、金山、堀、上場沢へ分水し、一帯の水田を潤します。

灌漑用温水ため池  蓼科には白樺湖、蓼科湖、女神湖、御射鹿池と素晴らしい池や湖があります。これらは実は自然湖ではなく人工湖なのです。川の水がとても冷たく、農業用に使うには温度が低すぎるので一旦池に貯めて温めてから農業用水に使うのです。
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白樺湖)  元は高層湿原でしたが音無川のせき止め湖で、その水を温める温水ため池です。1946年(昭和21年)に完成しました。標高約1500m。当初は「蓼科大池」と名付けられたとのこと。その後「白樺湖」と呼ばれるようになったとのこと。昭和40年〜50年には観光地として施設も充実したそうです。北山地域の110haに給水しています。
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蓼科湖)  1952年(昭和27年)に完成しました。面積8.5ha、最深部7m、湖面標高1244m。滝の湯川から取水する農業用温水ため池。
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御射鹿池・みしゃかいけ)  1933年(昭和8年)に完成のため池。貯水量26000t。満水面積1.3ha。渋川の水を温めます。堤体標高1528m。最大水深8m。渋川は酸性度が強く、魚も住みません。池もPh4の強酸性です。そのため酸性を好むチャツボミゴケが湖底に生え独特の印象で、周囲の木々の映りこみが素晴らしいのだそうです。この池で冷たい水を温め、酸性水を希釈して、農業用水とします。池の名前の由来はこの地域が諏訪大社の神のお狩場で神に捧げる鹿を射る神事のあったことから来ています。東山魁夷画伯の「緑響く」(1972年8昭和47年)と1982(昭和57年)年に制作)の取材地。漏水等あったため2001年〜2004年(平成13〜16年)に改修。
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女神湖)  1966年(昭和41年)赤沼平という沼地を農業用水ため池として整備。蓼科山が女の神山と呼ばれたことから名づけられたとのこと。貯水量は26万トン。
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竜神池)  三井の森にある温水ため池。
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笹原ため池)  御射鹿池に近く、三井の森前にあり、映り込みも良く、良い雰囲気とのこと。
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史料
蓼科・白樺湖ものがたり 清水末喜著 朝日新聞長野支局
 http://www.amazon.co.jp/白樺・蓼科湖畔物語・清水・末喜/dp/4876633630

温泉の歴史  滝の湯が最も古く坂上田村麻呂の発見と言われ、奥蓼科の渋の湯は武田信玄の隠し湯とされており、親湯は天保十年(1839年)に地元民である矢崎喜惣次が不動尊のお告げで発見。明治時代には明治温泉、小斉の湯と続きます。蓼科温泉は江戸時代の天保年間(1830〜44)に矢崎喜惣次氏が開湯とのことで、信玄の隠し湯とも言われ、源泉は5つあり、蓼科三室源泉 かけ流し(小斎の湯・蓼科共同浴場等)、信玄の隠し湯(親湯)、滝の湯温泉元湯、蓼科高原1号井戸(鹿山の湯)、芹ケ沢温泉。
蓼科温泉 http://www.tateshina.ne.jp/onsen.htm
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信玄の隠し湯 
茅野市教育委員会 http://www.suwakanren.jp/furinkazan/curator/chino/105.html
信玄の湯 http://onsenbaka.jp/singen/
諸将の隠し湯 http://www.joy.hi-ho.ne.jp/ma0011/kakushiyu/
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温泉史料
蓼科の温泉史料 http://www.nec-hoyoujyo.net/guide/tateshina/hot_spring.html
茅野市史
 中巻 中世・近代 第十三章第五節温泉の項 http://misuzu-mokuji.net/detail.php?id=214002
蓼科・白樺湖ものがたり 清水末喜著 朝日新聞長野支局 
 http://www.amazon.co.jp/白樺・蓼科湖畔物語・清水・末喜/dp/4876633630

糸萱、板倉、鏝絵    芹ケ沢の東に糸萱区があります。その昔、芹が沢村住人が1639年に糸萱新田を開いたとのこと。イトススキ(糸萱)が多く生えていたのでその名がついたとのこと。糸萱大橋もありますね。糸萱区の区誌が作成されているとのこと。ここには板倉工法で作られた蔵が多く有り、蔵には鏝絵が多くあるとのこと。糸萱は80戸ほどですが、その80%の家に蔵があるとのこと。武田信玄が鉄鉱石を発見し、諏訪鉄山が繁栄したことが記録されているとのこと。詳しくは次に有ります。http://www.shinshu-liveon.jp/www/topics/node_185138
板倉工法による蔵のこと、糸萱の鏝絵のことは次に記載があります。2010.6.9の記事をみてください。http://www.naganet.com/topics/topics.cgi?page=45
鏝絵のはじまりや鏝絵のことは次にあります。http://ja.wikipedia.org/wiki/こて絵
糸萱、原村、富士見町の鏝絵の写真集があります。是非見てください。http://countrybox.exblog.jp/i13/ そして、実際に観に行き歴史を感じてください。

茅野駅前にあるSLはどこで使われていたのでしょうか。ビーナスラインは元はどのような道だったのでしょうか。メルヘン街道沿いの鉄山入口、鉄山とはどのようなものだったのでしょうか。諏訪鉄山の歴史に関係がありそうです。
諏訪鉄山 諏訪鉄山の歴史とその場所がわかります。 諏訪鉄山の散策ガイド 諏訪鉄山企画展 諏訪鉄山と鉄山鉄道 国鉄自動車北山線 鉄山鉄道と石遊場 エスポワール向かいの万石場跡 鉄山とビーナスライン
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「諏訪鉄山記録」と言う本がコープみどりにありました。2011年3月諏訪鉄山の歴史保存を進める会/宮坂敏郎発行で2000円でした。写真や図面も豊富で参考になります。歴史編と地質編から成ります。
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「諏訪鉄山散策ガイド」のA3の三つ折りパンフレットは原村のエコーライン上里交差点近くの自由農園原村店の原村情報コーナーに置いてありました。無料です。
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蓼科と川崎を結ぶのが鉄鉱石です。諏訪鉄山の褐鉄鉱は燐分を多く含む含燐褐鉄鉱でした。英国ではS.G.トーマスが1879年に燐分を含む鉄鉱石を塩基性耐火材を内張りした転炉により処理できるトーマス転炉を発明しています。日本では1937年(昭和12年)5月にトーマス転炉を導入し、川崎の日本鋼管京浜製鉄所で含燐褐鉄鋼の処理ができるようになり、1957年(昭和32年)までこの転炉が使われました。この転炉は現在産業遺産として川崎市の市民ニュージアム玄関前に記念展示されています。まさに鉄人28号という感じですね。http://www.gijyutu.com/ooki/tanken/tanken2000/nkk-thomas/nkk-thomas.htm 諏訪鉄山の鉄鉱石はこの転炉のおかげで鉄鋼として使うことができるようになりました。ちなみに諏訪鉄山明治工区からは普通褐鉄鉱が産出したとのことです。また、諏訪鉄山の閉山は1963年(昭和38年)とのことです。 

信州の歴史研究よりという次のHPは力作です。この地域の歴史を網羅しています。
http://www7.ocn.ne.jp/~rare1/rekisi/si.htm

史料
茅野市史
 上巻 原始・古代 http://misuzu-mokuji.net/detail.php?id=214001  
 中巻 中世・近代 http://misuzu-mokuji.net/detail.php?id=214002
 下巻 近代・現代 http://misuzu-mokuji.net/detail.php?id=214003
史料集
 別巻自然
長野県市町村史誌目次情報データベース 岡谷市・諏訪市・茅野市・下諏訪町・富士見町・原村
 http://misuzu-mokuji.net
蓼科・白樺湖ものがたり 清水末喜著 朝日新聞長野支局
 http://www.amazon.co.jp/白樺・蓼科湖畔物語・清水・末喜/dp/4876633630





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コメント(3件)

内 容 ニックネーム/日時
蓼科温泉の歴史を調べたいと思っています。このブログに書かれている情報はよくまとまっていますね。文献などあればぜひ教えていただきたいと思いました。
jiji
2011/11/29 16:14
jiji様
コメントいただき有難うございます。蓼科温泉の歴史に関する文献があればとのことですね。持ち合わせがある訳ではないのですが、心がけておきます。WEB情報を調べてみましたが、信玄の隠し湯と言われるものが多く、まさに他から隠して大事にしていたようで、そのことも文献にはあまりのらないことの理由かもしれません。
浜人
2011/12/25 22:27
jiji様
蓼科の温泉についての歴史文献調べてみました。
いくつか見つかりましたので、上のBLOGに掲載しておきました。
ご参考になれば幸いです。
私も勉強させて貰いました。有難うございます。
浜人
2011/12/30 20:27

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