F39)宇宙開発と出会って50年(1/3) 大石晃

宇宙開発と出会って“50年” (トピックス あれこれ)(1/3)
         大石 晃 (2014/8/1 記)

私と宇宙開発との出会いは、1964(昭39)年に総理府・科学技術庁の「航空宇宙技術研究所」(航技研 NAL:National Aerospace Laboratory) に研究職として入所した時に遡(さかのぼ)る。

折からこの年には『わが国で実用人工衛星を打ち上げる』ことが正式決定し、7月に科学技術庁(科技庁)所管の「宇宙開発推進本部」(推本)が同じ敷地内で発足した。推本は’69(昭44)年に特殊法人「宇宙開発事業団」(事業団 NASDA:National Space Development Agency)【注1】に衣替えしたが、同じ役所の姉妹組織として推本ならびに事業団を研究面で支援して、研究用ロケットの燃焼実験や(新設の)種子島射場での発射実験などにも参加することになる。

なお’64年には、ペンシルロケットで有名な東大・生産技術研究所と東大・航空研究所が合体して駒場に東大・宇宙航空研究所(宇宙研)【注2】が発足、科学衛星と固体ロケットの開発を引き継いだ。以来、科技庁系の実用衛星・液体ロケット開発との二本立て推進体制が21世紀初頭まで続く。

研究所時代は計測部ならびに宇宙研究グループに所属し、多少格好をつければ、宇宙開発に係る情報システム、誘導制御システムおよびシステム工学の研究に9年間従事した。
’73(昭48)年3月に、実用衛星の開発・製作事業への本格進出を目指していた三菱電機㈱
(以下適宜、略称 三菱 を用いる)に転籍した。以来、61歳までの28年間、役所時代を合わせると合計37年間を宇宙開発の仕事に携わることになった。

三菱の最初の2年間は宇宙開発・防衛機器の本拠地である鎌倉製作所でシステムエンジニアとして衛星プロジェクトの取りまとめや社内開発計画の調整業務などを担当して、その後’75(昭50)年2月に本社・電子事業部(のち電子事業本部に改編)に異動する。
本社では役所OBとしての接点を活かして科技庁、航技研、事業団や宇宙研ならびに郵政省(現総務省)や通商産業省(通産省、現経済産業省)などの顧客を相手に、宇宙事業の企画・マーケッティングや拡販活動、事業戦略・戦術の立案や官界・業界対応面での管理業務を行った。

そうした体験から、一般に知られていない下記トピックスのいくつかを取り上げてご紹介したい。

〔1〕世界水準を征(ゆ)くわが国‘先端’技術力の紹介
 ①H-ⅡAロケット/ H-ⅡBロケット(H-Ⅱロケットシリーズ)
 ②商用・実用の大型衛星(通信・放送、測位・航法、気象観測など)
 ③地上通信施設(衛星通信/追跡管制/宇宙天文観測など)
〔2〕圧倒的な格差のある米国との協調と競争の現実
 ①宇宙開発関係予算の日米比較
 ②『包括通商・競争力強化法 スーパー301条』【注 】 の発動
 ③情報収集衛星(IGS:Information Gathering Satellite)
〔3〕ライフワーク 「‘無人ランデブ-’自律航法誘導制御システム」達成までのみちのり
 ①宇宙ステーション補給機(HTV)『こうのとり』の初打上げ
 ②『無人ランデブ・ドッキング技術』の研究履歴
 ③「こうのとり」実現までのホップ・ステップ・ジャンプ

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【注1】 2003年10月1日付で、旧科技庁傘下の「航空宇宙技術研究所」、「宇宙開発事業団」と旧文部省所管の「宇宙科学研究所」の三機関の統合で文部科学省所管の独立行政法人「宇宙航空研究開発機構」(JAXA:Japan Aerospace Exploration Agency)が誕生。本社は調布航空宇宙センター(旧航技研)に置かれる。
【注2】 宇宙航空研究所は、’81(昭56)年に、航空分野を分離して宇宙科学ならびに宇宙工学分野の研究に特化した文部省直轄の共同利用研究センター「宇宙科学研究所」に改組された(略称:宇宙研 ISAS:Institute of Space and Astronautical Science、’89年に駒場から相模原キャンパスに移転)。東大大学院・工学系研究科(航空宇宙工学専攻)の研究室及び講座が附設されており、JAXA所属の宇宙科学研究所においてもこれを引き継いでいる。NASA所属のJPL(Jet Propulsion Laboratory)とCaltech(California Institute of Technology:カリフォルニア工科大)の関係と類似している。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

〔1〕 世界トップレベルのわが国‘先端’技術力の紹介
① H-ⅡAロケット/ H-ⅡBロケット(H-Ⅱロケットシリーズ)
〔図-1〕に世界の主要な大型ロケットの比較を示す。ロケットの打上げ能力については、静止軌道【注3】へどれだけの重量のペイロード(衛星等の積荷)を運べるかが尺度の一つとなる。ただし、ロケットの実際の役割は高度300km~500km近辺(近地点)から遠地点36,000km近辺の楕円軌道に衛星を放出することに止(とど)まるため、最近は、この「静止トランスファー軌道への最大打上げ重量」【注4】を尺度とする場合が多い。

画像

                      図1 世界の主要大型ロケットの比較

最大打上げ能力に関しては退役したスペースシャトルを除いて、日、米、欧、ロ、中の各国の大型基幹ロケット間で大差はないが、打上げ能力を全備重量で割算したロケット重量当りの最大ペイロードで比べると、日本のH-Ⅱシリーズと米国のロケットだけが14~17㎏/tonの高い数値を示しており、高効率で高性能なロケットであることを証明している。

世界指折りの高性能ロケットと云われるH-Ⅱシリーズは液体2段ロケットであり、初段、2段とも液体水素(LH2)を燃料にして、これを燃やす酸化剤には液体酸素(LOX)を用いる。このLH2/LOXロケットは、高圧タンクに封入されているそれぞれ(-)253℃と(-)183℃の2種類の極低温液体を一気に燃焼室に送り込んで3,000℃以上の高温で均一燃焼させるため、特有の難しい技術が必要であり、世界で実用化しているのは日、米、仏だけである。
特にH-ⅡAの初段に使われている液体エンジン「LE-7A」は大きなパワーを引き出すために、予備燃焼室でターボポンプを42,000rpm(秒速700回転)で超高速回転させて2種類の極低温液体を主燃焼室に引き込む「2段燃焼サイクル」という高度な技術に挑戦した。そのため回転軸の僅かな偏心やタービンブレードの微妙な曲面設計上の誤差などで共振破壊や爆発などを起こす。’91年には技術者一人が命を落とす事故にも繋がったが、ミクロンオーダーの精密加工技術や配管溶接技術など職人のスキルも寄与してこれらの難関を克服した。

2009(平21)年に初飛行したわが国最大のH-ⅡBは、最大寸法で直径5m(X)長さ15m、重量16.5tonの、さながら荷物満載の大型トラック並みの積荷を地上400kmの宇宙ステーション軌道に運ぶことが出来る。そのために初段主エンジンはLE-7Aを2基束ねるクラスター構成とした上に、推力235tonの推力増強用固体ロケット(SRB)を4本束ねて初段の胴体回りに装着することにより、リフトオフ時の合計推力1,160tonを得ている。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【注3】 地球赤道面内の上空約36,000kmの円周上を地球自転に同期して回る人工衛星軌道。地表の特定地点の上空(緯度により仰角が異なる)に相対静止して見えるため、通信衛星や気象衛星などに利用する。
【注4】 静止トランスファー軌道から放出された衛星を静止軌道に入れて相対静止させるまでには、衛星自身が保有している軌道修正ロケット(アポジモーター)や微調整用の小型ジェット装置を用いて1、2ヶ月かかる。このアポジモーター用燃料がトランスファー軌道への打上げ時重量(ウェット重量)の4割強を占めるため、打上げ可能な静止衛星の初期重量(ドライ重量)の最大値は、「静止トランスファー軌道打上げ能力」の約5割~6割弱程度と評価される。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

1984(昭59)年に開発着手した原型モデルのH-Ⅱは’94年の初号機から5機連続して打上げに成功したが、’98年、’99年と失敗が続いたため総点検を行い、国際競争力の強化のためのコストダウンとも併せてフルモデルチェンジして名称も「H-ⅡA」「H-ⅡB」と変えた。
H-ⅡAの初飛翔は2001年8月で、’3年3月にはわが国初の情報収集衛星(次章に記述)2機の同時打上げに成功した。同年11月に一度打上げ失敗があり設計改良したが、以後これまで(’05~’14年5月)H-ⅡBと合わせて22回連続成功し、国際水準の成功率(96.4%;27/28)に達した。

画像

                   図2 H-ⅡB 2号機の打上げ (2011年1月)

MHI(名古屋航空宇宙システム製作所)がJAXAからH-Ⅱ全系の開発業務を請け負って共同で飛行実証まで終了した後は、国から製作責任と打上げ業務を移管される。従って、衛星打上げ事業拡販のためにMHI独自に活動することも出来る。ほかIHIがターボポンプや制御用ジェット噴射装置、IHIエアロスペース【注5】が固体ロケット(SRBほか)を担当しており、NEC、日本航空電子、三菱プレシジョンなどが電気機器を分担製作している。

② 商用・実用の大型衛星(通信・放送、測位・航法、気象観測など)
三菱電機は’99年10月に米欧3社との1年半に亘る国際商戦を制して、Optus社【注6】(オーストラリア)の商用・防衛通信衛星「Optus-C1」を受注した(’03年打上げ済)。海外市場におけるわが国最初の衛星プライム(主契約)受注だった。これを契機に、従来からの搭載機器の輸出に加えて、大型衛星システム(衛星本体)の海外商戦に本格参入し、’08年にSingTel社(シンガポール)/中華電信社(台湾)向けの通信衛星「ST-2」を米欧企業相手の国際入札で受注(’11年打上げ済)、’11年にはトルコ国営衛星通信社から同様に2機の通信衛星「Turksat-4A/4B」を国際商戦で受注した(’14年に4A打上げ済)。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【注5】 戦後初めて「ペンシルロケットを製作した旧富士精密(プリンス自動車と改称)が日産自動車に吸収されたのち、2000年にロケット部門が日産から分離してIHI傘下に入る。日本初の人工衛星「おおすみ」を打ち上げたL(ラムダ)-4S、「はやぶさ」を宇宙に送り出したM(ミュー)-Ⅴ(ファイブ)ならびに最新鋭のイプシロンロケットなど一貫して固体ロケットを開発してきた。
【注6】 [当時の社名:Cable & Wireless OPTUS]オーストラリア第2の通信会社で、2000年にアジア最大(除、中国)の携帯電話事業を行うシンガポールの通信事業会社SingTel社の傘下に入る。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

日本国内でも、スカパーJSAT社やNTT、NHKなどの通信・放送衛星や愛称「ひまわり」で知られる静止気象衛星など実利用衛星の需要は相当あるが、次の章で述べるように、米国の『包括通商・競争力強化法 スーパー301条』に基づく国際入札要求に日本政府が屈して、’90(平2)年の日米合意で非研究開発型衛星は公開、透明かつ内外無差別に調達されることが決まり、以後10年日本企業は国内の実用衛星市場から事実上締め出されることとなる。

ようやく2000(平12)年になり三菱が「ひまわり7号」を受注(’06年打上げ済)して市場を取り戻すきっかけを作り、後年の後継機「ひまわり8号」「同9号」の連続受注に繋げることが出来た。商用通信衛星でも、スカパーJSATの「スーパーバードC2」を受注(’08年打上げ済)、本年(2014年)4月にも「スーパーバードB2」後継機の「スーパーバード-8」の衛星バスを契約した。これらの衛星や上述の海外衛星(ST-2、Turksat-4A/4B)は、いずれも次に述べる巻き返し戦略に基づく標準衛星バス〔DS-2000〕【注7】を適用したものである。

すなわち ’90年代、米欧企業への巻き返し策として (a)衛星搭載機器の輸出実績【注8 】の積上げによる国際市場での信頼獲得と海外営業力の強化 (b)量産型衛星向けの標準衛星バス〔DS-2000〕の開発によるコスト削減と工期短縮 (c)大型衛星の量産を目指した全行程一貫生産体制の整備【注9】 (d)衛星のパッケージ販売(衛星製作、打上げと軌道上運用などの支援、相手国技術者の教育や利用サービス指導に至るトータルアプローチ) 等々を順次実施した。 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【注7】 〔DS-2000〕基本仕様:〔打上げ時重量〕max5.8ton /〔発生電力〕max14kw /〔衛星寿命〕15年/〔姿勢安定〕バイアスモーメンタム(または)ゼロモーメンタム方式デジタル三軸姿勢制御/〔電源バス〕100V安定化電源 /〔一次電池〕高効率Si太陽電池セル(または) GaAs太陽電池セル/〔二次電池〕NiH2 (または)Liイオンバッテリー /〔太陽電池パネル基板〕軽量CFRPハニカムパネル/〔構造〕CFRPセントラルシリンダー方式軽量CFRPハニカム構体
【注8 】 米欧企業との長期供給契約等で輸出規模を拡大し、(’11年までの実績統計)累計440機の各国の衛星に三菱電機製の機器が搭載されている。特に主力商品の、「太陽電池パネル」(軽量CFRPハニカム基板上に高効率Siセルを貼付)、「Liイオンバッテリ」や「ヒートパイプパネル」(軽量CFRPハニカム基板に温度制御用のヒートパイプを埋め込んだ機器搭載用パネル)などは商用衛星向けの世界市場で30%~40%のトップシェアを確保している。
【注9】 民間企業で初めて大型スペ-スチャンバー(宇宙空間の熱環境模擬施設)、音響試験装置(打上げ時のロケット音響環境模擬装置)、日本で初めてのCATR(Compact Antenna Test Range:軌道上でのアンテナ性能を試験する設備)等を備えることにより、それまで国の設備を借りないと出来なかった大型衛星の試験が工場内で全て実施可能となり、国内唯一の設計・製造・試験に亘る全行程を一貫して行える衛星生産棟を保有することとなった。また同棟の増築拡大によって、中・大型衛星を従来の2倍の8機まで並行生産できるようになった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー                   

三菱標準衛星バス〔DS-2000〕の開発に関しては、’96年~’97年にかけてNASDA(現JAXA)から受注したデータ中継技術衛星「こだま」(DRTS:’02年打上げ済)と技術試験衛星Ⅷ型「きく8号」(ETS-Ⅷ:’06年打上げ済)の設計・製作過程で得られた技術をベースに、社内投資を積み上げて標準モデルを完成しもので、官民協調の成果といえる。

画像

                 図3 「きく8号」 (重量5.6ton/電力7.5kw/寿命10年)
               (太陽電池パネル全長40m、記載の衛星重量はウェット重量)

〔DS-2000〕を適用した衛星は上述の諸衛星のほかに、日本独自の『準天頂衛星測位システム』(QZSS:Quasi-Zenith Satellite System)の構築にも活用されている。QZSSは’10(平22)年に打ち上げられた準天頂衛星「みちびき」初号機を使って利用のための実証実験が現在続けられており、今後’16年~’17年に3機(内1機は静止軌道)が順次追加されて、’18年から内閣府の直轄により当面4機体制で実際の運用がスタートする予定である(三菱が全衛星の製作を受託、NECが設立した準天頂衛星システムサービス㈱が運用事業を担当)。

画像

                 図4 「みちびき」(重量4ton/電力5.3kw/寿命10年)

現在カーナビなどに使われているGPS測位は、米空軍が管理する「全地球測位衛星システム」(GPSS)の民間向サービスコードを利用しているが、測位精度に限界(10m台)がある他、特に都市部においては、ビル等の遮蔽により視界に入る衛星数が不足し、測位ができない場合がある。日本が構築する準天頂衛星システムでは常に1、2機がわが国の天頂付近に滞在しており、利用可能な測位衛星数が増え安定した測位が可能となることに加え、準天頂衛星より送信される測位補強信号(わが国独自のサービス)を受信し、処理することにより、測位精度も数㎝程度に向上することが期待されている。

測位精度や信頼性の向上に伴って、カーナビ以外にも、自動運転、航空機・船舶・漁船などの航行支援、地図作りや測量、子供や高齢者の見守りサービス、気象・災害感知など応用範囲と需要が今後拡がっていくと考えられる。

またQZSSでは(地上から見掛け上の)衛星軌道が日本を中心とする豪州や東南アジア方面を含めた「8の字」軌道になるため、「アジア・オセアニア地域測位システム」としてこれらの地域へサービスを拡げることも出来る。さらに将来は7機体制(準天頂軌道に4機、静止軌道に3機)とすることで、有事の際など米国GPSサービスが制約される場合でも、GPSSに依存しない『自立型地域測位システム』として安定的な利用が可能となる(社会安全保障)。

画像

                         図5 「8の字」衛星軌道

③ 地上通信施設(衛星通信/追跡管制/宇宙天文観測など)
1962年7月10日に世界初の(能動型)通信衛星【注10】「テルスター1号」が大西洋上に、同年12月13日に「リレー1号」が太平洋上に打ち上げられた。その1年後の’63(昭38)年11月23日(米国時間:22日)に「リレー1号」衛星を使った初めての太平洋横断日米テレビ中継実験が行われたが、最初に飛び込んできた映像が衝撃的なJ.F.ケネディ大統領暗殺のニュースであったことは記憶に生々しい。この日本最初となる歴史的な衛星通信電波を受信したのがKDD(現KDDI)茨城衛星通信実験所【注11】の20mΦカセグレン式パラボラアンテナであり、KDDとNHK、三菱電機の三者共同開発によって世界で初めて実用化したものである。

「カセグレンアンテナ」は、当時の英国式パラボラアンテナに比べて低雑音特性が得やすく、送信機や受信機を主反射鏡の頂点近くに低損失で設置でき、また米国のホーンリフレクターアンテナに比べても機械構造系が簡単で製作が容易であったため大型アンテナの主流になり、その後日本がこの分野で世界のリーダーシップを取ることに繋がる。’64年の国際衛星通信機関インテルサット(Intelsat)発足に伴い、多数のIntelsat衛星が打ち上げられて1900年代の国際通信の主流となるが、三菱とNEC の2社が中近東、アフリカ、中南米など各地の衛星通信施設を次々に受注して2000年ごろまでに全世界シェアで過半数を占めるに至った。

2003(平15)年5月に打ち上げられたJAXA・宇宙研の小惑星探査機「はやぶさ」が、数々のトラブルに見舞われながらも関係者の最後まで諦めない不屈の努力と才覚で困難を克服し、7年後の’10年6月に奇跡的な帰還を果たしたことは世界的な快挙として映画にもなった。
遭遇した危機の一つでも乗り越えられなければ成功が叶わなかったが、とりわけ最大の危機は’05年12月8日の交信途絶【注12】であり、以後’06年1月23日までの1ヶ月半の間にさまざまな宇宙雑音の中から一旦見失った衛星の微かな信号を探り出して通信を回復できたことが帰還成功の第一歩となった。「はやぶさ」の探索方法は、JAXA臼田宇宙空間観測所の深宇宙探査機用大型アンテナから、軌道計算で割り出した予測軌道方向に向けて衛星への指令信号(コマンド)や衛星からのテレメータ信号を間断なく送・受信し続けて反応を探る方法である。しかし、当時の地上⇔「はやぶさ」間の3億3,000万kmの距離からすれば往復の通信時間で36分もかかり、電波の拡がりによる距離誤差だけでも約300kmもある中で、430区分した周波数すべての範囲で絶えず電波を送り続けたことは気の遠くなるような話である。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【注10】 衛星に搭載された中継器(トランスポンダ)により、地上からの受信信号を電力増幅して高利得アン
テナを介して地上に送信することを能動型通信と称し、これにより実用通信が可能となった。それまで
は衛星を反射板として用いる受動(エコー)型通信のため利得が稼げず、電波強度、通信容量いず
れも実用化には及ばなかった。
【注11】 のち茨城衛星通信所と改称、2007年に閉所してKDDI山口衛星通信センターに統合された。
現在山口の施設がKDDIの唯一かつ日本最大の衛星通信施設であり、最大34mΦを含めて多数の
アンテナ群が並ぶ。
【注12】 人工衛星の「寿命」の定義では、物理的な故障等で機能不全になる場合だけではなく、交信途
絶で回復不能の場合でも目的とする役割ミッションが果たせなくなるので「寿命が尽きる」「寿命が終
了」と見做される。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

彗星や惑星などに向かう深宇宙探査機との通信や追跡管制を行う上記64mΦ大型アンテナ(総重量1,980ton)は、1984(昭59)年に旧宇宙研が長野県臼田に完成したものである。宇宙機追尾に伴うアンテナ自重による撓(たわ)みをホモロガス変形法で補償して集光力を高める設計の導入などで、当時NASA(米国・航空宇宙局)の64mΦアンテナを凌ぐ世界最高性能を誇った。現在でも60m超級の探査機用大型アンテナは、ロシアとESA(欧州宇宙機関)を加えて世界で4基のみである。三菱がアンテナ製作と全体工事を請け負い、NECが7GHz/2GHzクライストロン送信機、日本通信機が8GHz液体He冷却LNA受信機をそれぞれ製作した。

臼田の施設完成に遡ること3年前の’81(昭56)年には同じ長野県の清里高原近くの国立天文台・野辺山宇宙電波観測所に45mΦ電波望遠鏡が新設された(総重量700ton)。また同時に5台(現6台)の中型10mΦの高性能アンテナ群によるミリ波干渉計も付設された。
三菱がアンテナ全基を含む全体工事を請け負い、富士通がLNA受信機と計算システムを担当するが、天文台の先生方は常に世界一の研究を目指すため、’70年代初頭に構想設計に着手して以来要求は年々厳しくなり、仕様が固まり契約した後でも世界最高性能を目指して手綱を緩めて貰えなかった。ホモロガス変形法も望遠鏡工事で初めて採用したものである。また夜だけでなく昼間の直射日光のもとでも観測したいとの要望を受けて、衛星用に実用化した熱膨張係数の小さいCFRP表皮のアルミハニカムサンドイッチパネルを鏡面全体に採用し、総数330
枚の平均鏡面精度を60μ以内(仕様値:80μ)に抑えた。コストは高くなったが軽量化にも寄与できた。お蔭で30年以上経った現在でもミリ波(波長1~10㎜)を観測する世界最大の電波望遠鏡として超巨大ブラックホールや色々な星間物質の発見で活躍している。

画像

                       図6 45mΦ電波望遠鏡(野辺山)

電波天文学の急速な発展に刺激を受けた古典派ともいえる光学天文分野でも、同じ国立天文台が、世界各国の大型望遠鏡が集結するハワイ島のマウナケア山頂(標高:4,200m)に進出して、’99(平11)年に世界最高性能を誇る「すばる」光学赤外線望遠鏡を建設した。
電波望遠鏡と同様に三菱が施設工事元請と望遠鏡本体、富士通が受信機と高速計算機を分担して、完成までに9年を要した。望遠鏡の光学性能は「分解能」と「集光力」で決まり、全体の光学設計と主鏡(反射鏡)の精度保持が枢要となる。「すばる」の主鏡は有効径8.2m/厚さ20㎝の1枚鏡であるが、観測時に鏡筒と連動し、天体を追尾してさまざまな角度に傾きながら集光する。その際心臓部であるこの主鏡が撓まずに絶えず適正な鏡面を保つために261個のアクチュエータで自動制御する。また在来型の円形ドームを楕円柱ドームに変えて能動型温度制御方式を採用し、画像の歪に影響を与える大気の揺らぎを極小化した。「すばる」はこれまでに、天体観測史上最遠の128億8000万光年離れた銀河の発見を初めとして多くの世界的な研究成果を上げている。

画像

                      図7 「すばる」光学赤外線望遠鏡

2013年3月13日、チリ北部のアンデス山腹・標高2,900mにあるチリ観測所で、チリ共和国のピニュラ大統領をはじめ関係各国の来賓や世界の天文学者・研究者が多数招かれて、『アルマ望遠鏡・開所記念式典』が華やかに催された。アルマ望遠鏡【注13】は東アジア・北米・欧州ならびにチリの20ヶ国(地域)による国際協力プログラムとして、アンデス山頂近くの標高5,000mの高原「アタカマ砂漠」に10年の歳月をかけて建設されたもので、口径12mΦおよび7mΦの合計66台のパラボラアンテナを組み合わせる干渉計方式の巨大電波望遠鏡である。すなわち、移動式のアンテナを自在に動かすことによって、最大直径18.5kmの電波望遠鏡に相当する空間分解能を得られ、ミリ波やサブミリ波領域では世界最高の感度と分解能を備えた望遠鏡となる。分解能はすばる望遠鏡やハッブル宇宙望遠鏡の約10倍といわれる。

画像

                   図8 アルマ(ALMA)望遠鏡(チリ・アタカマ高原)

日本は1980年代から野辺山の電波望遠鏡とミリ波干渉計で実績を積み上げてこの領域の研究で世界をリードしており、66台中、中心部に配置される技術難度の高い16台の超高精度アンテナ群と高性能相関器(専用スーパーコンピュータ)の開発を国立天文台が担当している。

愛称「いざよい」(ACA:Atacama Compact Array)と名付けられた日本担当のアンテナ群は4台の12mΦと12台の7mΦアンテナから構成されており、広がった天体を高い感度で観測することができる。             
一方米国と欧州が担当する残りの50台のアンテナ群は全て12mΦであり、天体を高い分解能で細かく観測することができる。双方のデータを合成することで、細かい構造から広がった構造まで超高分解能を達成しつつ、精細でしかも天体の真の姿に忠実な電波画像を得ることが期待されており、早くもこれまでに、ビッグバン直後の銀河の誕生や、いまも続く惑星系の誕生など重要な研究分野で続々と成果を挙げている。
なお、「いざよい」の16台の超高精度アンテナの開発は三菱、高性能相関器などは富士通がそれぞれ担当した。

画像

                 図9 「いざよい」ACAアンテナ群 (日本担当)

望遠鏡に関する最新のトピックスは、本年、2014年7月25日に、ハワイ島・マウナケア山頂に建設する日・米・中・加・印5ヶ国の国際プログラム「次世代超大型望遠鏡‟TMT”」 【注14】(Thirty Meter Telescope)の建設許可が出て、これを受けて本格建設に入ったことである。

画像

                 図10 次世代超大型望遠鏡「TMT」 完成予想図

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【注13】 アルマ望遠鏡(ALMA:Atacama Large Millimeter/submillimeter Array アタカマ大型ミリ波サ
ブミリ波干渉計)は東アジア(日・台)、北米(米・加)、欧州(15ヶ国)およびチリの計20ヶ国(地域)の
国際協力で実現。日本・国立天文台(NAO)、米国立電波天文台(NRAO)、欧州南天天文台(ESO)
の3機関が研究を主導する。
【注14】 5ヶ国の代表機関によって構成される国際機構「TMT国際天文台」が、2014年5月6日付で
米国において法人登記された。今後は当該機構が望遠鏡の建設ならびに完成後の運用を行う。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

このTMTは口径30mの光学赤外線望遠鏡を建設する計画であり、本年建設を開始して、2022年からの観測開始を目指している。直径30mの主鏡は492枚の分割鏡で構成され、かつてない高解像度、高感度の望遠鏡となる。
日本は望遠鏡本体の構造の製作や主鏡と観測装置の一部を担う計画である。既に三菱電機が本体・構造部の機械系や制御系の設計作業を受注して進めており、主鏡についても㈱オハラ【注15】が〔望遠鏡使用環境で熱膨張率が殆どゼロとなる〕新ガラスセラミック材「クリアセラム」を素材にした分割鏡(対角1.44mの六角形状)60枚の試作に成功している。完成後はTMTの後(うしろ)に描かれている「すばる」と連携した観測を推進することで、天文学の最前線を切り拓いていくことが期待されている。

画像

                  図11 (マウナケア山頂) 望遠鏡群の景観

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【注15 】 1935(昭10)年創立の光学ガラスやガラスセラミック等の専業メーカとしてトップシェアを占める。
供給先はニコン、キャノン、富士フィルム、コニカミノルタ、オリンパス等の光学メーカ多数。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

リンク:(2/3)へ
http://hamato.at.webry.info/201411/article_3.html





この記事へのコメント

この記事へのトラックバック